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安佐北区可部町綾ヶ谷の福王寺の大師堂、熊野権現堂」をこの頁で取り上げました。 |
文政年間の境内図、現在の境内図をみても「大師堂」とありますので、大師堂であることはわかったのですが、梁上に掛けてある(堂名)額は、「遍照金剛殿」と書かれていました。 |
(だいしどう)
大師堂: |
真言宗の寺院で、弘法大師の像を安置する堂。 |
(くうかい)
空海:
(774-835) |
平安初期の僧。真言宗の開祖。讚岐の人。俗姓、佐伯氏。諡号、弘法大師。
804(延暦23)年入唐、翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺(こんごうぶじ)を建立し、東寺(教王護国寺)を真言道場とした。また、京都に綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開いた。詩文にもすぐれ、書は三筆の一。著「三教指帰(さんごうしいき)」「十住心論」「文鏡秘府論」「篆隷(てんれい)万象名義」「性霊集」など。遍照金剛。 |
(へんじょうこんごう)
遍照金剛: |
1)密教で、大日如来の名。光明があまねく照らし、金剛のように不滅であるところからいう。
2)空海のこと。 |
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帰宅後辞書を引いて弘法大師を「遍照金剛」ともいう事を知り、もともとの意味が大日如来の事だった事を、恥ずかしい事にこの歳になってはじめて知りました。 |
11.01.03.裕・記編集 |
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10.10.22撮影 |
広島市安佐北区可部町綾ヶ谷251 (福王寺) |
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10.10.22撮影 |
堂(殿)名額 |
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鎮守堂(熊野権現堂) |
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明治の神仏分離令で熊野神社を祀ることができなくなったからでしょう、現在の境内図には「鎮守堂」と記述してあります。文政年間の境内図には「熊野権現」となっていました。
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ゆやごんげん
熊野権現 |
=熊野三所権現 |
くまのさんしょ
ごんげん
熊野三所権現 |
熊野三社の主祭神として祭られる。
本宮の家都御子神(けつみこのかみ)、新宮の熊野速玉神、那智の熊野夫須美神(くまのふすみのかみ)の三神。熊野(ゆや)権現。 |
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現在の鎮守堂は、いわゆる権現造(入母屋造・平入の3棟を、入母屋造・妻入の縦の棟で串刺し状に一体化するという)ではないように思うのですが、文政年間(1818-1830)の境内図で見る建物は、名のごとく権現造のようにも(わたしは)思いました。しかし、熊野権現堂は1707(宝永4)年再建とも云われていると聞きますので年代的に合わないと思い(いまの、わたしには)正確にはわかりません。 |
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10.10.22.撮影 |
鎮守堂(熊野権現堂) (石段根際の祠は稲荷社) |
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10.10.22.撮影 |
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10.10.22.撮影 |
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10.10.22.撮影 |
10.10.22.撮影 |
堂名額の名の部分は取られた? |
本殿に当る部分 |
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